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執筆者の写真じょ〜じ

イエスの風 No.10

 1ヶ月に渡る旅も終わりに向かっています。やっと、今までの流れから解放されつつあることを感じれるようになって来ているので、まだまだ続けたい気持ちは山々ですが、何事もほどほど、もうちょっと…と言う余韻が残るくらいが良いのかも知れません。人生の旅はまだまだ続いて行くのですから。今回の旅で得たことは沢山あります。自分が疲れ果てていたこと、深く傷ついて来た事…、多くの苦しみを通って来た事が想い起こされました。それらの荷はスッキリと解決し、下ろすことが出来た訳ではありません。未だに残されたまま、人生の荷物として背負いつつ旅を続けなければならないようです。けれど、大切な言葉に出会いました。それは、ジェームズ・フーストン師との交わりの中でいただいた言葉です。「苦しみにまさる創造性はない…」この言葉を味わいつつ、これからの歩みを続けようと思います。  主イエスのいのちが、あなたの内に溢れますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」

ローマ人への手紙8章18〜30節「呻き…」  この世界には、人の数だけ喜びがあり、苦しみがあります。それは、皆ひとりひとりが違っているように違います。どれひとつ取っても同じものはありません。それぞれお互いに、自分の経験と置き換えながら、共感出来ることはあっても、それは全く同じ経験をしていると言うことではありません。特に苦しみはそうです。その人がその人であると言うことと深く繋がっているように思います。その人が経験した苦しみは、その人だけのものです。ですから、私たちはこう言うのです。「こんな苦しみを味わっているのは、この世界で私しかいないのではないか…」全くその通りです。あなたが経験するその苦しみは、あなただけのものです。あなたがあなたであると言うことと同じように、あなたでしか経験し得ないものです。他の誰の苦しみとも比べることも、優劣をつける事も出来ません。そして、あなたが経験した苦しみが、あなたの優劣や価値を決めることもないのです。けれど、そんなことを言われると、冷たく見捨てられたような気持ちにさせられるかも知れません。孤独の中に呑み込まれていくように感じるかも知れません…。苦しみの経験は、分かち合い難く、扱いが難しいのです。  けれども私たちは、私たちが経験する苦しみが、お互いの間に深い憐れみを引き起こし、連帯や絆を生み出して行くことを知っていて、それを経験しています。様々な人の苦しみの現場が、深い慰めを経験し、繋がりを生み出しています。人生に大きな痛みを経験し、苦しみを通った人が、深い憐れみを持ち、人々を慰め癒す人になっていると言うことは決して珍しいことではありません。それは、本当に不思議なことです。この世界の苦しい現実の中で、神の世界を垣間見させる神秘だと思います。  パウロは、苦しみの人でした。彼は、復活のイエス様と出会って以来、苦しみの日々を過ごしました。イエス様が、彼をそのような人生に招かれたのです。彼は呻く人でした。彼が人々に送った手紙の多くは、彼のことをとても力強く印象づけます。しかし、実際の彼は、貧しさと苦しみの中で、弱々しいと見られ、その姿に躓きを感じる人もいたようです。そして彼自身、自らの苦しみの故に悩むこともあったようです…。(2コリント1:3〜9、10:10,12:5~12 etc)  けれど彼は、この苦しみの中で聴いたのです。何を聴いたのでしょうか。それは、呻きです。それは、被造物の呻き、神に造られた全てのものが呻いているのを聴いた…。それは、人の呻きです。苦しみの中、その心に響いている呻き…。神の子とされること、あらゆる苦しみの中、解放されることを切望する呻き…。一体、どこで聴いたのでしょう。どこから聞こえて来たのでしょうか。それは、彼自身の中、彼の苦しみから生まれる呻きの中から…。彼の呻きに共鳴するように、被造物の呻き、そして人々の呻きが聞こえて来たのです。彼の呻きが、被造物の呻きであり、共に生きる人々の呻きと重なったのです。  苦しみ、呻く者には聞こえているのです。自らの呻きの中に聴いている。被造物の呻き、人々の呻きを…。この呻きがこの地に響いていて、それは、今日も聞こえているのです。あなたは、それがどんな風に聞こえますか。  パウロは、この呻きを産みの苦しみとして聴きました。産みの苦しみ…、新しい何かが生まれる…。彼は、あらゆる呻きの中に産みの苦しみを見ていた。そして、さらに彼は、神によって、この産みの苦しみの先にあるもの、そこから生まれる新しい世界を見ていた。神が創造される新しい世界、全ての者が癒され、変えられる…。新しい世界、それは、どのように表現したらいいのでしょうか…。想像して欲しいのです(18、19、21、23、29、30)。パウロは、言葉に出来ないことを、想像するようにと言葉を尽くしました。彼は、この手紙を書く時に呻きました。神が創造される新しい世界、産みの苦しみの先にある世界、それはどんな世界なのでしょう…。  新しい世界を知るカギが、私たちの苦しみの中にある。この世界の呻きの中に隠されている。私たちが苦しみを感じ、呻くのは、新しい世界への渇きと憧れがあるからです。私たちが苦しみを感じ、呻くのは、いのちがあり、生きていて、心に希望の光が灯っているからです。希望を持っているからこそ、それが叶わない状況に置かれる時、苦しみ呻くのです。苦しみと呻きは、あなたが希望に生きている証しです。想像し、見て欲しいのです…。あなたの苦しみ、呻きにはどんな世界が隠されているのでしょう。愛、喜び、平和…への渇き、憧れ…。  パウロは、この世界の中で、苦しみ呻く者たちを励ましている。共に希望を持って呻こう…。産みの苦しみに耐えられるように、支えようとして手紙を書き記したのです。しかし、本当に支えてくれるのは、パウロではない。聖霊です。聖霊が苦しみ呻く者を励まし、支えている。産みの苦しみに耐えられるように…。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けて下さいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(25)  聖霊がいる。聖霊が今日、あなたを支えておられる。苦しみの中で呻くあなたを。今日、聖霊は深い呻きをもってあなたに言われます。「わたしは、あなたの呻きを聴いている。あなたの苦しみは、産みの苦しみ。そして、わたしの苦しみだ。」苦しみ、呻きの聞こえるところに、聖霊はおられる。聖霊は、あなたの苦しみと呻きを住まいとし、あなたを包み込むように、また伏して足の下から支えるようにして、仕えておられる。あなたの心を御自分の心として、あなたが言葉に出来ないことを全て引き受けて下さいます。このお方と共に在っては、言葉は必要ではありません…。呻き、ため息、それで十分です。そして、あなたは、苦しみの中、呻き、ため息の中で聖霊と出会うのです。あなたの呻きは、聖霊の呻きです。  この呻きの中、神は新しい世界を創造して下さるのです。神こそが産みの苦しみの中におられます。そして、神ご自身が呻きつつ、今日も私たちの呻きの中でご自身の御業を進めておられるのです。 

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