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執筆者の写真じょ〜じ

イエスの風 No.13

 先週は、久しぶり(2年振り?)に京都の実家で過ごしました。子ども時代を過ごした場所です。ここに来れば、子どもの頃に戻るのです。気まぐれに、好きなように、安心して、伸び伸び過ごすことが出来ます。何かを成し遂げなければならないと言うプレッシャーはありません。このような場所があることは、本当に恵まれているのと思います。今週は、火曜日から週末まで大学生のキャンプで説教する為に長野県に出かけます。旅続きです。旅は、帰る場所があり、待ってくれている人たちがいる故に成り立つのだと思います。今週も祝福が共にありますように。

  主イエスのいのちが、あなたの内に溢れますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」

マタイの福音書12章43〜50節「イエス様の家族」

 人から信頼されていないと感じることは辛いことです。不信を露わにされたりすると本当に傷つきます。自分には価値が無いと思えて来て、自信がなくなり、何も出来なくなります。その一方、人から信頼され、認められる時、私たちは自信を持つことが出来、様々な困難を乗り越えて行くことが出来ます。

 今までの人生を振り返る時、いくつかの試練を想い起こすことが出来ます。身近な人間関係の中で、傷つけられ、自信を無くしてしまいそうになりました…。親しい関係ほど深く傷つきます。多くの場合、親しい関係の中だからこそ問題が起こり、傷つけられてしまうのです。その経験は、本当に痛く、苦しい…。それは、私たちの魂の傷となって残り、私たちを長く苦しめます…。そして、私たち自身だけではなく、周りをも傷つけてしまうことさえある。傷つけられた私が、傷つける者になってしまうことがあるのです…。

 イエス様は、相当傷つかれたのではないかと思います。御自分がなさったことが、周りの者に受け入れられず、信頼よりも不信を招き、あからさまな敵意にさらされることになったのです。イエス様は、人々の癒しと解放のために御自分の御業をなさいました。それは、全て愛と憐れみから生まれるものでした。しかし、御自分が最も理解を得たい、この御業を共にしたいと願われた人々から厳しい非難を受けることになったのです。御自分に対して不信を露わにし、非難する人々への厳しすぎるのではないかと思えるほどの言葉は、イエス様がおかれていた状況の厳しさを物語っているのではないかと思うのです(25~37、39~45)。

 そして、さらにそのような中で、イエス様の家族さえもが彼の言動を受け止めきれないでいたようです…。イエス様が、家の中で人々に話しておられる時に、イエス様を訪ねてやって来た。周りで起こっている状況に心配して訪ねて来たのです。「ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」(47)誰かが言いました。家族がイエス様を止めに来た…。家族にも受け入れられない…。イエス様にとって、家族がやって来たと言うことは、相当堪えたのではないかと想像します…。玄関先に、家族が総出で、何かを言おうと立っている…。誰からも受け止めてもらえないのか…、そう思える状況です。イエス様は、受け入れてもらいたいと願い、期待した人たちに受け入れてもらえなかった…。「誰もわたしのことを受け止めてくれない。信じてくれない。自分のやっていることに意味があるのだろうか…」そう思えて来たのではないかと思うのです。イエス様も人の子です。失望することだってあるのです…。

 けれど、その時に見えて来たものがあった。それは、今自分の目の前にいる人たち、自分にずっとついて来た弟子たちの姿…。無学な人たち、貧しい人たち、力のない人たち、地位も権力もない人、罪人、病人…。何の頼りになるのだろうかと思える人たち…。彼らの目を見た。彼らの心を見た。イエス様を信頼し、彼の許に集まっていたのです。イエス様は、それを見てこう叫んだ。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(48~50)イエス様は、励まされたのです。喜ばれたのです。希望を持たれた。イエス様について来た弟子たちに向かって、彼らを「兄弟、姉妹、母」と呼ばれた。「わたしの家族」と言われたのです。イエス様は、御自分に従って来ている人たちを見て感動された。それがどれほどのことかを知っておられたのです。イエス様ご自身が、誤解され、受け入れられず、疎外されると言う経験をされたので、自分について来ることがどれほど大変なことであるかを知っておられた。だから感動して、こう言わざるを得なかった。「わたしの母、兄弟、姉妹たち!!」

 私たちも似たような経験をします。人生の試練に出会う時、人間関係に傷つき、失望する時に…。期待していた人たちではない、思わぬ人たちと出会い、慰められ、励まされること、支えられ、癒されることがあります。今まで気付かなかった、人の優しさに触れ、新しい絆を発見することがあるのです。試練がなければ出会うことも結びつくこともないだろう人たちがいるのです。

 イエス様は、弟子たちと出会った。自分について来た人たちと新しい出会いを経験したのです。彼らを「わたしの母、兄弟、姉妹たち!!」と呼んだのです。

 これを聞いた弟子たちは、どう思ったでしょう。驚いたでしょう。でも、嬉しかったのではないでしょうか。イエス様は、誇らしげに言われたのです。弟子たち、イエス様の周りに集まった者たちは、イエス様が自分たちの姿に感動し、声を震わせて言われたのを聞いたのです。「この人たちは、わたしの家族だ!!」

 イエス様は、今日も、御前に集まる者たちに向かって、感動に声を震わせながら言われる。「天におられる父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

 天におられる父のみこころとは、イエス様に信頼し、御許に集まること。イエス様の声を聴くことです。今日、あなたに向かってイエス様の声が響いています。

 「あなたは、わたしの家族。あなたたちは、わたしの家族。」

 イエス様は、あなたを信頼して、あなたを兄弟、姉妹、母…家族と呼んで下さるのです。私たちは、イエス様の家族なのです。

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