「まなざし」と言うタイトルの作品を描いています。次の聖書の言葉からインスピレーションを得ました。「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた」(マルコ10:21)そして、10月11日(水)から15日(日)に目黒区民ギャラリーにて開催されるB&Aアート展「地の塩、世の光として」に出展するために、締め切りに追われています。作品につける制作コメントをご紹介します。 「地の塩、世の光として生きることは、己の正義を振りかざすことではなく、イエスの心で生き、イエスのまなざしで世界を見ること…。父の愛を知るあの方の私を見るまなざしは、底知れず深く、圧倒的だ。どんな色を使っても表しきれない…。私たちは、このまなざしの迫りに戸惑い、悩まされることさえある。」よろしければ、足をお運び下さい。 どうか、今週も、共に主イエス様のいのちに生かされ、生きることが出来ますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」
マタイの福音書18章21〜35節「天の御国は…」
人には、やり直したいと思うような失敗、過ちがあります…。誰にも言えずにいて、赦してもらいたいと思うような過去がある。この地上の人生の終わりには、いつかはそれを精算しなければならないとしたら、ちょっと困ってしまうことが、あれや、これやとあったりして、突然に死を迎えるとしたらと恐れる…。 ある人の話を聞いた、真面目に人生を生きて来た、そして周りからもそのように見られ、尊敬すらされていた。にも関わらず、人生の終わりが近づいていることが分かった時に、自分を訪ねてくれた牧師にこう言った。「先生。言葉を下さい。あなたは赦されたと言う言葉を…」不真面目に生きたからではない。真面目に、一生懸命に生きた、そしてその人生が尊いからこそ、なおさら一点の曇りもないような人生を送りたいと願うのです。それでも、私たちは、罪を犯してしまう、どんなに気をつけていても、意志を強く持ち、善い行いを重ねても、それでも一瞬にして過ちを犯してしまう…。私たちには、人には知られない、けれども私と神は知っている、私さえ知り得ないものが…、心の内にわき起こる思いをも含めたら…、数限りない汚点を抱えて生きているのです。 もし、神の御前に立つ日が、純白の布地についた一点のシミのように罪を数えられたら、それを裁かれると言うなら…。もう誰も神の御前に立つことは出来ないだろう。その日は、恐れと不安以外の何ものでも無いでしょう。 「天の御国は、地上の王にたとえることができます…」主イエス様は、話し始められた。王は、しもべたちと自分が委ねたものを精算したいと思い、一人ずつ呼び出して話し始められた。まず最初に来たのは、しもべの中で一番借りを持っている人だった。けれど、あまりの負債の大きさに、彼がどうにもならないことが分かった。 返済の猶予を懇願するしもべを見ているうちにかわいそうに思い、彼を赦し、借金も免除して上げたのです(24~27)。 「天の御国は、地上の王にたとえることができます…」天の御国は、限りない赦しの世界です。全ての過ち、失敗、罪、神の御前にある負債が赦され、帳消しにされる…。全部赦されるのです。王がしもべを赦し、負債を帳消しにしたように。忘れてもらえるのです。無かったことにしてもらえるのです。あなたの罪が赦される。あなたの過ちは、帳消しにされる。イエス様は、あなたをお赦しになるのです。今日、あなたに言われます。「子よ。あなたの罪は赦された。」 赦されたしもべは、ホッとしたでしょう。主人に赦されたのです。そして、借金の返済も帳消しにされた…。全てを新にしてもらったのですから…。ところが、この人は王の前から立ち去ると真っ先に仲間の所へ行きました。そして、こともあろうか、彼を捕まえ、自分に借金をしていることを責め、首を絞めたのです。仲間は頼みます。「もう少し待ってくれ。そうしたら返す。」けれど、この人は、仲間を赦さず、借金を返すまで牢に投げ入れてしまった…(28~30)。 ああ…、何だか私たちの世界を見ているようです…。赦しがないのです。借金を返すまで牢に閉じ込められる…。いつまでも、いつまでも、責められるのです。いつまで責められたら終わるのでしょう…。牢に入れられるとは、ずっと自分の過ちを見せられ、向き合わされるような経験でしょう。赦されていても、赦せない…。お互いに牢に閉じ込め合っているのです…。本当に辛いことです。悲しいこと…。仲間のしもべたちは悲しみました。心の底から痛み、悲しんだ…。そして、王にその悲しみを訴えるのです(31)。 私たちも訴えます…。神に叫ぶのです。王である主イエス様に…。その痛みと悲しみを、赦しの無い世界で傷つけ合う仲間の苦しみ…。私たちの痛みを祈る。すると主イエス様は、赦さない者にこう言われるのです。「私があなたをあわれんだように、仲間をあわれんでやるべきではないか…」 私たちの王であるイエス様が願っておられることは、天の御国、今ここが天の御国になること。天の御国の風を、私たちに吹かせたいのです。あなたを牢獄から解放したい。赦しの無い世界、牢獄に閉じ込め、罪の責め苦を味わい続ける日々から解き放ちたい。怒るほどに、狂ったように…、激しく、十字架で血を流すほどに、あなたを責め合う地獄から救い出したいのです。その手から血を流しながら、命をかけて、あなたを閉じ込めている牢獄の扉をこじ開け、あなたの足に絡みつく足かせを打ち砕き、牢獄の外に出して下さった。 あなたは赦されている。一切の罪はきよめられ、新たにされている。それは、赦しのいのちが与えられたと言うことです。今日、あなたは新しく生きることが出来る。今日、新しく、天の御国に生きなさい。 今日も天の御国には、赦しの風が吹き、「子よ。あなたの罪は赦された。」と声が響き渡っている。そして、天の御国は、あなたの人生に迫り、あなたの日々に、暮らしに入り込み、溢れ出ようとしている。あなたが、神の力に動かされ、赦しに生きようとする時、ここに天の御国の扉が開き、風が吹く。あなたは、主イエス様の力によって天の御国に生きることが出来る。イエス様は今日、あなたを天の御国に引き込もうとしています。イエス様の声が響いています。「悔い改めなさい。天の御国は近づいたから。」イエス様の声を聞いて、天の御国に生き直しましょう。
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