クリスマスです。昨日は、クリスマスイブでした。週末近くにふと思いついて…と言うか、導かれて(クリスチャンがこう言う時によく使う用語…)、クリスマスイブは天使になろうと決心しました。どう言うことかというと、天使は、救い主がこの世界にお生まれになった時に、喜びの歌声を響かせ、そこに居合わせた人々に知らせました。自分も街に出かけて行き、歌声を響かせようと閃いたのです。まぁ、教会は、長年にわたりキャロリングと銘打ってして来た事なのですが…。自分が閃くと、それはまるで新しい事のように感じます。友人を誘って、出かけて歌いました。街に神をほめたたえる歌を響かせて来ました。たくさんの人が、私たちの前を通り過ぎて行きました。注目され、称賛されたわけではありません。でも、私は、この街に、喜びの歌、神をほめたたえる歌が響いたことは、ちょっとした(ちょっとしたというものがあるかどうか分かりませんが…)奇蹟だと信じています。
私たちの暮らす街の至る所で、このような歌が響くようになったら、何かが変わるだろうと思うのです。
主イエスのいのちが、あなたのうちに満ち溢れ、あなたの唇に歌が授けられますように。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしは、あなたを喜ぶ。わたしは、決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」
ルカの福音書2章8~20節「行こう、天使の歌声と共に…」
10年ほど前、教会でゴスペルを歌っていた。仲間たちと集まって、大声張り上げて、声をからし、汗だくになり、泣き、笑いながら歌っていました。本当に楽しい経験でした。その時のことを想い出すと、心が温かくなります。身体に血が通い、生きた心地がします。今でも、その頃に歌っていた曲を聴くと、心が動き出すのです。歌には力があります。人を生かす力がある。たかが歌だと思われるかも知れない。でも、ひとつの歌で人生が変わることがある…。不思議なことです。
歌は、神様からの贈り物。神様は、人を歌う者として創造された。人が歌う姿は、神様の似姿、神様のかたちの一部を表しています。神様は、歌を歌われる。神様は、歌っておられる。だから人は歌う。音楽を奏でるのです。神様は、この世界に向かい、あなたに向かって歌っておられる。「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」(ゼパニヤ3:17)
天国、神の国は、神様の歌声に満ちた所です。ある晩、この天から歌声が漏れ聞こえて来た…。いや、漏れ聞こえて来たのではなく、天の劇場の幕が開き、天使のクワイアが声を響かせたのです。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(14)野宿の夜番をしている羊飼いに、天使が現れた。「恐れるな。今、私は民全体に素晴らしい喜びを知らせに来た。きょう、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主、キリストです。」(10-11)そう知らせて、歌った。彼らに向かって歌を響かせたのです。
どうして天使は歌ったのだろう。救い主の誕生を喜んで、思わず歌った…、もちろんそうでしょう。でも、それだけではなかった。天使は、羊飼いに聞かせようとして、彼らに向かって歌った。「平和が、御心にかなう人々にあるように。」天使は、羊飼いたちに祝福の歌を歌ったのです。「あなたたちは、神の心に適い、愛される人。あなたたちの日々は喜びと栄えに満ちたものになる。」天使たちは、羊飼いたちと、その場に居なかった全ての人、この世界に向かって祝福の歌を歌った。その天使たちの歌は、羊飼いに向かって響いた。
こんな歌が聞こえて来たらどうしますか。あなたに向かって、神の祝福を告げる歌が聞こえて来たら…。「あなたは、神の心に適う、愛される人。あなたの人生は、喜びと栄えに満ちたものになる。」信じますか…。簡単には信じられないでしょう。正反対の歌ならば、「あなたは、神の心に適わない、呪われた人。あなたの人生は、苦しみと惨めさで埋め尽くされる。」それなら、簡単に信じてしまうのに…。
羊飼いたちもそうでした。彼らは、半信半疑…。だから、「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせて下さったこの出来事を見て来よう。」(15)と言って、確かめに出かけた。そして、見つけた。天使の知らせ通りに、生まれたばかりの、飼い葉桶に寝かされた赤ちゃん、救い主を見つけたのです。そして、信じた。天使たちの歌は本当だ。天使たちが、自分に向かって歌ってくれた…。羊飼いたちが、天使の歌を信じた時、彼らの中に変化が生まれた。「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(20)彼らは歌い始めた。天使たちの歌を、自分の歌にして歌い出した。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(14)彼らは歌った。「わたしたちは、神の心に適う者。神に愛される者。私たちには平和がやって来る。神が私を祝福して、喜びと栄えの日々に導かれる。」しかし、彼らは、この歌を自分のためだけに歌わなかった。これを一緒に帰る仲間に向かい、家族に、国に向って、自分以外の誰かのために歌ったのです。
人は、自分が本当に愛されている者であることが分かり、喜びを味わい、祝福を感じると、自分の中だけに留めることが出来なくなります。それを誰かに分かち合いたくなる。本物の愛は、その人の心から溢れ、留めることが出来なくなり、他の人に流れ出すものです。本当に愛されていることを知っている人は、もはや自分だけのために生きようとはしない。自分ではない誰かのために生きようとする。
救い主は、この世界に何をしにやって来たのか。救い主は、この世界を新しく変えようとしている。互いに愛し合い、違いを受け入れ、共に生きる世界、互いに一人じゃないと信じることが出来る世界、共に励まし、支え合う世界。私たちの魂の渇きが癒され、満たされる世界。世界中の人が憧れ、夢見ている平和な世界…。救い主が来られたのです。そして、この世界を新しくするために、私たちを変えようとしている。あなたを、人を愛する者に。赦す者。誰かのためにいのちを差し出す者に。救い主は、あなたの人生を変えに来ました。今、変えようとしているのです。
天使は、羊飼いたちを誘った。共に歌うようにと、彼らを歌声で取り囲んだ。そして、天使たちが帰った後、羊飼いたちが歌い始めた。羊飼いは、天使の如く、神に仕える者になり、歌い始めた。その日以来、この歌声は、歌い継がれ、世界中に響き渡っている。今日、あなたは、その歌を聞いている。
この歌は、神様が天から授けて下さった、あなたの歌です。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」この歌は、今日、あなたに向かって響いている。さあ、一緒に歌いましょう。この歌を世界に響かせましょう。いつか、この歌は、いつか、この世界に響き渡り、新しい世界が生まれるのです。信じて、歌い続けましょう。救い主がこの世界に来られたのですから。
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