先週末より体調を崩していたようです。でも、自分の中で不調を誤魔化し、認めようとせずに頑張っていました。けれど、今週になり症状が悪化し、遂に降参して、不調を認め薬を飲みました。夏風邪をひいたようです。2〜3日、ゴロゴロ、ダラダラと過ごし、今は薬が効いて回復して来ています。病むと言うことは、辛いことですね。でも、病むことだけが辛さを生み出しているのではないようで、自分の心にある恐れや焦りのようなもの、周りから聞こえて来る様々な声、「元気でいなければならない。」「何も出来ない自分には価値がない…」などなど…。実際に聞こえるかどうかは別として、どこからともなく、そして自分の内側からそんな声が響いて来て自分を苦しめるのです。無気力になって横たわっている時に、そう言う声に悩まされます。病む時に、そのような声に自分が囚われていることに気付かされるのです。
素敵な歌に出会いました。今回の説教は、その歌に励まされて、生まれて来たものです。リンクをはっておきますので、お聴き下さい。
https://soundcloud.com/morningsongs/19-in-weakness-2129-10-2corinthians-129-10
主イエス・キリストの恵みが溢れています。主がこう言われます。「あなたは、わたしの愛する子。わたしは、あなたを喜ぶ。わたしは決して、あなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」
コリント人への手紙第二12章9~10節「しかし主は…」
「しかし主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。』と言われました。」(9)
「どうして、私の人生、私って、こうなんだろ…。」ため息が出てしまう。人生に、身の周りに、私自身の中に、信じ難いこと、どうしても受け入れることが出来ないことがあるのです。それ以外では結構上手く行っているように思えることがあっても、それを全て帳消しにしてしまうかのように…。そこに目を向けたら腹が立って来る、何もかも投げ出してしまいたくなる衝動に駆られる…。自分は呪われているのではないかとすら思えて…。そして、他の人が、何の問題も抱えていないように見え、比べて、どんどん落ち込んでしまう…。周りの皆が眩しすぎて…、自分はどんどん暗くなってしまう…。そもそも、人と比べてもどうにもならないことは良く分かっている。けれど、私たちは、なんだかんだ言って、隣人との背比べを止められないでいるのです。
パウロが悩んでいた。「サタン(悪魔)の使い」と呼ぶほどの、「肉体のとげ」に悩まされていた…。人知れず悩んでいたと言うより、皆に知られるほどのものだった。これは、彼にとって、受け入れ難く、どうにかして取り去り、解決しなければならないと思えることだった。だから神に祈った、何度も繰り返し、何年も…(7,8)。でも解決しなかった、「サタンの使い、肉体のとげ」は、彼から去ることはなかった…。それどころか、イエス様が彼の祈りに答えて言われた。「わたしの恵みはあなたに十分である。…」
このやりとりは、どんなふうに行われたのだろう…。イエス様は、彼にどんなふうにお答えになったのか…。声だけだったのか、姿を見せられたのか…。一回だけ答えたのか、それとも何度も言われたのか…。はっきりしたことは分からない。でも、イエス様は、彼の祈りに答えて下さった…。
しかし、その答えは、予想し、期待した答えではなかった…。意味不明…、もし、こんな答えをされたら…。私たちは、激しく抵抗するだろう。すんなり「はい。分かりました。」とは言えない…。
けれど、驚くことに、パウロは、受け入れた…。「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(9)彼は、大いに喜んで、彼の内に、彼の人生に起こる困難、苦悩と言うべきことを、自分のものとして受け入れたと言う…。どうして…、何故、彼はそんなことをしたのか…。彼の信心深さ、祈りの深さがそうさせたのか…。そうではない。それは、何の役にも立たなかった…。
しかし、イエス様がおっしゃった。「わたしの恵みはあなたに十分だ。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるから。」イエス様の恵み、イエス様の力…、それがパウロをおおった。彼のうちに宿ったのだ。彼は、知らなかった。気付いていなかった…。彼が弱い時、彼がサタンの使いにつきまとわれている時に、彼は支えられていた。イエス様の力が、彼を覆い包み、彼の内に宿り、いのちとなって溢れていた…。周りの誰ひとり、気付くことが出来なかった、分かろうともしなかった…。
そう、私たちには、恵みが分からない。イエス様の力が見えない、気付けないのです…。今日、私たちの中にイエス様の恵み、イエス様が力となって内に宿って下さっている。私たちを支え、この枯れ果てた内側から、愛の泉を溢れさせて下さっている。けれど、気付けないでいるのです。一生懸命に自分の問題を見つめ、それを取り去ろうと懸命にもがき…。神に祈る…。問題解決に奔走している…。問題に溺れそうになっている。
「しかし、主は、『わたしの恵みはあなたに十分だ。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるから。』と言われた。」
けれど、イエス様の声が響いているのです。イエス様は、私たちの目を覚まさせて下さる。私たちに向かって語られる。その御声で、目覚めさせて下さる。イエス様があなたの内におられ、あなたと共に居る。大丈夫です。あなたがどんな問題を抱え、どんなに行き詰まっていても、恐れに包まれ、心配に囚われてしまっても…。イエス様が私たちと共に居て、支えて下さいます。私たちは、イエス様の手の中に居る。イエス様は、私たちに恵みを見せて下さる。あなたの中に、ご自分の力を現して下さいます。
どこに恵みがあるのでしょう…。イエス様の力はどこに…。どのようにして現れているのでしょうか。今ここにある…。私たちは、独りじゃない。今日、あなたを支えている手がある。あなたのことを想い、祈る人が居る…。あなたを大切に思い、喜んでくれる人が、あなたを支え、生かしている。想い起こして欲しい…。そこにイエス様がおられる。イエス様の力がある。主イエス様の力は、愛、思いやり、慈しみ、人が人を大切にしようとする心の内に在る。イエス様は、人を通してお働きになる。イエス様は、今ここに、あなたと私の中に居る。
パウロは、弱さの中、苦悩の中で、独りじゃないことを知った。彼を支える人々に出会った…。その中で、キリストの恵み、力を知った。イエス様が、人を遣わし、結び合わせ、共に生かし、支えてくれた。彼は、イエス様の声に目覚めた…。自分の周りにある景色に気付いた。今まで見えていないものが見えた。彼を支える恵み、彼の弱さを越えて、それを圧倒し、覆い尽くしてしまうほどの慈しみの力、赦しの愛…。主イエス・キリスト、共に居て下さる神と出会った。
恵みは、イエス・キリスト。力は、イエス様が共に居ること。恵みは、私たち…。イエス様によって、今ここに共に居る私、そしてあなた…。あなたが、イエス様の恵み、力。イエス様は、今日も全身全霊を注ぎ、私たちに恵みを施される。
どうか、弱さ、困難、苦悩の中に呑み込まれないで…。問題ばかりを見つめて、狭い世界に閉じこもらないで…。
しかし主は、今日、ここに居て、あなたの魂の深いところから、あなたに言われる。「わたしの恵みはあなたに十分。わたしの力は弱さのうちに完全に現れる。」
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