急に寒くなりましたね。冷え性なので、手足の冷たさで季節を感じます…。
最近、イエス様が本当に生きておられるなぁと知らされる出来事がありました。本当に不思議で、圧倒的な出来事でした。
イエス様が復活なさった。それは、真実です。ただ過去の出来事としての事実なのではなく、今日、私たちに迫る現実。私たちが想像もしない所で、イエス様は、力強く働いておられるのです。ある時、そのことが明らかになります。けれど、そうなるまでは、全く気付かれることもないのです。イエス様の御業は、私たちの知らない所で、それでいて確実に進められている…。イエス様は、今日も私たちのために救いを為して下さるのです。
主が共におられます。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。安心して行きなさい。」
イザヤ書43章16~20節「見よ。わたしは新しい事をする。」
今日は、新しい一日です。私たちは、朝目覚めました。この天地を創造された神様が、私たちにいのちの息を吹き込み、目覚めさせて下さったのです。夕方になり、私たちは一日の労苦を終えて、休みに入ります。あたりは暗くなり、闇が覆い、私たちは疲れに耐えきれなくなり、床について眠ります…。
けれど、その闇の中で、神様は御業を始められます。新しい夜明けに向けて、新しい一日の備えをなさいます。神様は、「まどろむことも、眠ることもないお方…」(詩篇121篇3、4)と詩人は謳いました。神様は、暗闇の中で密かに働き始めて、着々とご自身の御業を進めて行かれるのです。私たちが眠っている間に…。
朝、目覚めるのです…。もう全てが整っています。私たちが生きるために必要なものは、全て備わっています。神様が、全て新しく備えて下さったのです。私たちは、新しい世界に目覚めるのです。新しくされた一日に目覚め、いのちの営みを始めるのです。労苦する…。
今日という日は、この一日は、実に豊かに神様のことを証ししています。宣べ伝え、語っています。賛美している…。輝く日、大地を潤す雨、この地を心地よいものにとし、いのちの種を運ぶ風…。目を向け、数えれば幾らでも見つけることが出来る、この世界に溢れる神様を証しすることば…。
神様は今日、生きて働いておられる。御業を為しているのです。あなたの目覚め、いのち、一呼吸、一呼吸の中に…。今日は、新しい一日です。それは、神様が新しく始めて下さった一日だからです。神様がご自身御心として下さらなければ、今日という日は来ない。私たちは、息をすることはなく、朝目覚めない…。
神様は、今日、生きて働いておられるのです。遠い昔ではなく、これから先の遠い未来でもなく、今日です。今、ここにです。今、ここに神様はおられるのです。私たちは、神様の御業、手の中に生きているのです。
今日、神様は語られる。今、ここで、あなたにお語りになる…。この聖書を通して、神様は語るのです。私たちは、聖書のことばは、遠い昔に書かれた、過去の遺物であるかのように思っています。そこには、知恵がたくさん詰まっていて、その中から現代の私たちに適用できるように、知恵や原則を見つけ出して行かなければならないと思って研究し、調べる…。聖書の言葉を過去の死んだ言葉のようにしてしまう…。けれど、神様のことばは生きている。言葉が生きているのではなく、それを語られる神様が生きているのです。神様は、今日、生きて語る。書き残された聖書のことばを用いて…。
「先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。…」(18、19)
約2800年前、神様は、ユダヤの地でイザヤという人を介し、イスラエルの人々に語った…。イスラエルは、神の民。神様は、この世界を祝福するためイスラエルを生み、共に歩み導いて来られた。イスラエルは神の民、しかし、彼らは、たびたび神様の許を離れ、その心を失い、自らに様々な苦しみを招いていた…。神様は、何度も彼らを引き戻そうと手を差し伸べ、御業を行われた…。けれど、引き戻されては離れを繰り返し、国は、南北に分裂、一つは滅び、残された方も、徐々に滅びの道を辿っていた。その時、神様はイザヤを通してユダヤの人々に、約100年後のことを語った…。この100年の間にユダヤは、益々神様から離れて堕落し、遂に国を失い、囚われの身となる…。ゆっくり、ゆっくりと滅びの闇が迫り、その国を覆い尽くそうとしていた。そう、今のこの世界のように…。
神様は、この世界を造られた。神の国、神の愛と平和、喜びに満ちた世界、全ての造られた者が、神様の光の中、祝福の内に、溢れるいのちの賛歌を歌いつつ生きる世界…。この世界は、神の国、皆が互いに愛し合い、祝福を分かち合う世界、苦しみ、悲しみ、叫びのない世界として造られた。しかし今、私たちは、苦しみの中に居る…。神の国と呼ぶにほど遠い世界。目を開けば、あちこちに苦しみが溢れ、毎日のように呻きと叫びが聞こえる。私たちの魂が悲鳴を上げている…。日が暮れて夜の闇が迫るように、先の見えない不安の闇が、私たちを覆い尽くそうとしているように感じる。今日、あなたが感じている魂の深い所にある呻き、普段は忘れてしまっているかも知れない不安は、神様から離れている証し…。神様を見失った暗闇…。
私たちの中に、神様を見失った荒野がある。世界は、神様を見失い、荒れ地になっている…。しかし、再び、神様のことばは、立ち上がり、声が響き始めている。
「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませる。」
神様は、不思議。私たちの目には、滅びしか見えず、絶望するしかないと思える只中で、救いを始め、その御業を進めている。この世界に救いが始まっている。もうすでに神の国が始まっている。この世界は、神の国になろうとしている…。
「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。」
今日、私たちは、神様のことばを聞いている。そして、その御業を見ている。神の国が芽生えている。今、ここに。神様が言われる。「今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。」私たちが、あなたがそうなのだ…。
イエス様は、この世界に来られ「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」と言われた。イエス様は、十字架につき、三日目によみがえり、もう始まっていることを明らかにされた。「見よ」今日、私たちは、見ることが出来る。今ここに。あなただ。イエス様を信じる者。イエス様の弟子たちが集まっている…。今、ここに始まっている。神の国、神様の救い、荒野の道、荒れ地の川が、ここにある。「先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。」過去を懐かしむ必要はない。昔、誰かが経験した目を見張るような出来事に憧れる必要も…。
神様は、言われる。「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。」今、あなたの中に始まっている。私たちは、誰も留めることが出来ない、神様の新しい御業の中に目覚め、生きているのです。
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