祝御降誕。今年も救い主イエス・キリストの降誕を、共にお祝い出来ることを嬉しく思います。たとえ遠くに離れていても、それぞれの場所で杯を掲げ、祝いの言葉を交わしましょう。同じ空を見て、同じお方を仰ぎ見て、心は一つであることを信じて…。
物理的に共に居ることが出来ない寂しさを感じることがあります。けれど、目には見えないお方が共に居られるというリアリティを信じている私たちですから。イエス様は、そう言う私たちをご自身により、愛により一つにしていて下さるのです。
だから、共にお祝いしましょう。御降誕おめでとうございます。救い主が共におられます。主があなたに向かって今日も言われるのです。「あなたは、わたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。わたしは決して、あなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」
ルカの福音2章1~21節「世界を変える灯火があなたの中に」
私たちは、蝋燭に火を灯します。小さな光を点してお祝いします。吹けば一瞬にして消えてしまうような光を…。これは、いのちを表す光、小さな灯火は、私たちのいのち…。この世界に生まれた私たちは、まるでこの蝋燭の火のように、小さく、ほのかに暗闇を照らすのです。闇が覆うとき、その光の力強さ、確かさに気付くでしょう…。真っ暗闇の中で、点された灯火は、闇を照らす光になるのです。
「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシヤである。」(2:10、11)
イエス様が生まれた。それは、世界の片隅の小さな町…。誰もにも知られない場所、天使が知らせなければ、この救い主の誕生を知る人は、その両親だけだった。小さないのちの誕生、救い主が生まれた。それは、天使が現れて地上を照らし、賛美の歌声が響いた時の輝きとは大きく違った。羊飼いたちが見た目映いばかりの光とは違う…。何かが起これば、一瞬にして消えてしまうような小さな灯火。けれど、この小さな光から全てが始まった…。
どうして神様は、こんな小さな灯火から始められたのだろう…。こんな小さな子どもから、この世界を救うなどと言うことを。時間がかかる、本当に実現するかどうかも分からない…。こんな小さく微かな光で、この世界を照らすなんて…。
神様は、小さいことから始める。この世界の片隅から始めようとなさる。たったひとりから始める…。本当に不思議なこと…。けれど、この世界を変えて来たのは、時としてこのような小さな灯火。たったひとり、世界の誰も注目しないわずかな人たち。無力な子どもから始まる…。こんなに小さな光から…、だれも想像も出来ないようなことを神様はなさる。それは、奇跡と呼ぶにふさわしいこと。この世界には、今も奇跡が溢れている。この世界は、奇跡で成り立っている。
誰も奇跡だとは気付かない…。どこに奇跡があるのかと探し回っている。そう、あの羊飼いが救い主を探したように…。羊飼いたちは、闇の中を、懸命に探した。彼らは家々を訪ね歩いた。神の奇跡、救いを探して…。そして、遂に見つけた。宿屋の片隅に、飼い葉桶に寝かされた乳飲み子を…。救い主、世界の光の灯火を見つけた。この小さな光が私たちの救い。救い主、世界を変える王様…。私たちも探す、神の救い、神の奇跡を探し、闇の中を訪ね歩く。聞かされた救い主の便りを心に携えて…。「恐れるな。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」私たちの救いはどこにあるのだろう。私たちの救い主は、どこに居られるのか…。
この世界を見渡すと、希望に溢れているとは言い難い…。将来に希望があるとは思えない。不安が一杯の日々…。明るい光が見えて来ない。希望を数えるより、不安を数える方が簡単です。自分の周りに闇が拡がっているから、一時でもそれを忘れられるように、目映い光に惹き寄せられて行くのです。
けれど、神様は、私たちに希望を語る。神のことばは、希望を持つように励ましている。希望の光を灯すようにと…。
神様は、小さな灯火から救いを始められた。吹けば消えてしまうような灯火、無力な乳飲み子から救いを始めた。この幼子の誕生、この幼子が世界を変え始めた。幼子が成長し、愛を示し、その生き様が世界を変えた。愛が世界を変えた…、愛が在る世界、神の国に。どうやって世界は変わるのだろうか。愛が在る世界、神の国になるのか…。それは、人が変わること。私たち人間が変わることによって、この世界は変わる。世界が変わることは、私たちが変わること。私たちが変わらずして、この世界は変わらない…。私たちの中に愛が生まれずして、この世界は救われない。神の国にならない…。
救い主は、この世界を救う。愛在る世界、神の国に変える…。救い主は、他でもない、あなたを変える…。あなたを変えるために十字架につき、三日目によみがえられた。救い主は、あなたの内に住まわれる。あなたが変われば、世界が変わる。この世界に、いのちの光がひとつ灯る…。あなたが光になる。どんなに小さく、吹けば消えてしまうような灯火でも、その光は、いのちの光。世界を変える希望の光。救い主は、あなたを変える灯火となって、この世界に来られた。
神様は、飼い葉桶に眠る乳飲み子から始めた。小さな灯火、幼子が世界を変える。どうしてそんなこと信じることが出来ようか…。今、目の前に居る乳飲み子が、この世界を救い、私たちを変える…。そんなこと、想像出来るだろうか。けれど、誰も想像しなかったことが起こった。新しい世界が始まった…。
そして今日、私たちは、この幼子の中に見る。それは、私たちの姿。飼い葉桶に寝かせられた乳飲み子、無力で小さないのちの灯火。それは、やがて成長して、愛の光を灯し、人を癒し、生かすようになる。私たちは、この幼子のようになる。神様は、私たちを神の幼子にしようと、救い主をこの世界に送られた。救い主は、私たちを神の幼子にするために来られた。
「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)
私たちが神の幼子になる…。いのちの灯火に。私たちのいのちは、この世界を照らす光。この小さな光が、必ず世界を新しくする。私たちが、救い主の灯火を灯してして生きるようになる…。それは、闇に輝く光。どんな嵐も、闇も、この光を消すことは出来ない。それは、2000年以上輝き続け、歴史を越え、世界の民族の隔たりも打ち壊し、世界を照らし続けて来た。やがて世界中を覆い尽くす。
「あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」(12)
私たちは、見つけることが出来る。今日、救いの灯火を探し当てるのです。私たちの中に、幼子が眠る。救いの光、灯火がある…。神の奇跡、愛の灯火が…。あなたの中にある。やがて、幼子は、目覚め、成長し愛の光を点す。小さな灯火は、隣り隣りに増え拡がって、必ず輝く光になる。
私たちは、救い主に似せられ、変えられる。彼のように生きる。ひとり、またひとりと変えられて、やがて、この世界が新しくなる。神の国が生まれる。今日、ここに、あなたの中に、救いが始まっているのです。
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