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執筆者の写真じょ〜じ

イエスの風 No,52

更新日:2019年12月7日


 新しい作品制作に取り組んでいました。今回は、昨年の夏に着想を得、黙想しつつ、今年の月よりキャンバスに向かい始めて約1ヶ月半での完成となりました。作品制作は、私にとって冒険のようです。何処に行くのか、何が起こるのか、全く予測がつかない旅です。計画通りには進みません。沢山悩みます、迷います。そして、祈るのです。そうやって完成した作品は、私にとって神の奇跡。神からの賜物だと思います。

 神様は、私たちの日常のいろんな出来事の中に身を潜めておられます。そして、密かに奇跡を行って下さいます。

 あなたのそばに神様がおられます。あなたに奇跡を行っておられます。今日、神からの賜物を見つけることが出来ますように。

 「あなたはわたしの愛する子。わたしは、あなたを喜ぶ。わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。安心して行きなさい。」


ルカによる福音6章17〜26節「イエスは目を上げて…」


 「君は、イエスに出会ったのか?」ある時、衝撃的な言葉が飛び込んで来た。心に突き刺さる言葉だった…。魂に衝撃を与え、目を覚まさせる言葉。イエス様を信じると言うことは、イエス様と出会うこと。今日、ここで、あなたに問いたいと思う。「君は、主イエスに出会ったのか?」

 イエス様は、私たちと出会おうとしておられる。今日、私たちをお訪ね下さる。その時、私たちは、少なからず衝撃を受けるのです。心刺され、揺さぶられることがある。イエス様との出会いは、時に心地よく、魂に安らぎをもたらし、時に心の凪を打ち壊し、嵐を引き起こす…。そうして、イエス様は、私たちをお訪ね下さる。私たちと出会おうとしておられる。

 イエス様が、祈りの内に一晩、山の上で夜を明かし、そこで選んだ12人の弟子、後に使徒と呼ばれる人たちと山を降って来られた。イエス様を求め、集まって来た人々、病や苦しみを抱え、癒やしを願う人、神の国の教えを聴きたいと願った人の中に入って行かれた…。人々は、何とかしてイエス様に触れよう、その力を受けようと押し寄せた。イエス様は、波のように押し寄せる人々の中に、自らの身を投じ、分け入り、潜り込んで行かれた…。

 イエス様は、私たちの中に来られる。身を低くして、私たちのただ中に、身を投じ、分け入って、潜り込んで下さる。

 「イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。」(20)

 イエス様は、人々と出会われた。身を低くして、彼らに耳を傾け、彼らに触れ、慰めを語り、御力をもって癒された…。集まって来た人々に眼差しを注ぎ、懸命に仕えておられた。どのくらいお仕えになったのだろう…、ふと目を上げられた。目を上げると言うことは、イエス様が低いところにおられたと言うこと。イエス様は、弟子たちより目線の低い所におられた。そこから目を上げて、弟子たちをじっとご覧になった…。

 イエス様の眼差しが弟子たちに向けられた。そして、イエス様は口を開いて話し始められた。「貧しい人たちは幸い。神の国はあなたがたのものだから。今飢えている人たちは幸い。あなたがたは満ち足りるようになる。今泣いている人たちは幸い。あなたがたは笑うようになる。人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき、あなたがたは幸い。その日には躍り上がって喜びなさい。見なさい。天においてあなたがたの報いは大きい。彼らの先祖たちも、預言者たちに同じ事をした。しかし、富んでいるあなたがたは哀れだ。あなたがたは慰めをすでに受けている。今満腹しているあなたがたは哀れです。あなたがたは飢えるようになる。今笑っているあなたがたは哀れです。あなたがたは泣き悲しむようになる。人々がみな、あなたがたをほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの先祖たちも、偽預言者たちに同じことをした。」(20〜26)

 理解しがたい言葉…。受け入れ難い言葉だ…。イエス様は、何一つ良いことをおっしゃらない。貧しい者に富を与えるわけでなく。飢えた人に食べ物を与えるのでなく。泣いている者を今すぐに笑えるようにすることもなく。迫害される者をそこから解放しない。富む者は、天の報いがない。満腹している者は、飢えるようになり、笑う者は、やがて泣くようになる。人々から受け入れられ、称賛されている者は、偽物だと言う…。

 私たちは、この言葉をどう受け止めたら良いのだろう…。聖書は、弟子たちがどう受け止めたか、またどう受け止めるべきかと言うことは一切記していない。私たちに聖書をお与えになった神、聖書記者たちを導いた聖霊は、このイエス様の言葉を、この言葉が聞かれる全ての所で響かせようとしている…。

 イエス様の声が、今日ここに響いている。イエス様が私たちのただ中に身を低くして、目を上げ、私たちを見つめながらおっしゃる…。

 イエス様は、私たちに挑戦しておられる…。「あなたがたは、何を望みに生きているのか。誰があなたがたを生かし、支えているのか。」私たちは、何を望み、支えにしているのだろう…。何不自由することのない富を得ていることか。飢えることのない日々、悲しみ、苦悩することのない人生、人からの称賛…。何があなたがたを支え、生かしているのか。

 イエス様が、今日、私たちのただ中で、私たちに仕えながら言われる。「わたしがここに居る。わたしがあなたがたを生かし、支える。」

 私たちは、貧しさ、飢え、悲しみ、迫害の中、富、満足、楽しみ、称賛の中で、イエス様を見失う…。イエス様が居ないかのように。しかし、イエス様は、今日、ここにおられる。私たちを訪ねて来られ、そのただ中で、身を低くして仕え、語り続けている。

 イエス様は、私たちのただ中で語り続ける。イエス様は、今日ここに居る。貧しさ、飢え、悲しみ、迫害…苦しみの中に居るあなたがたに慰めと励ましを語る。「わたしがここに居る…」富、満足、楽しみ、称賛の中で傲るあなたがたの目を覚まさせる。「わたしを見失うな…」

 イエス様は、今日どこにおられるのか。今日、イエス様がここにおられなければ、この聖書の言葉は虚しい…。気安めの言葉、死んだ偽りの言葉です。

 イエス様は、私たちの罪のために死んで、死人の中からよみがえって下さった。今日、毎日、私たちを訪ねて下さる。私たちに語りかける。今日、ここで聞いてる言葉は、今ここに生きて居られる方の言葉なのです。

 「君は、主イエスに出会ったのか?」私たちは、どこでイエス様に出会うのか…。

 イエス様は、今日、あなたに会おうと、あなたを訪ね、あなたを見つめながら話して居られる。あなたの居るところに、イエス様も居られる。今日、この言葉を聞くあなたは、主イエスに出会っているのだ。

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