受難節に入りました。イエス様の受難の道を想い起こし、追体験しつつ、復活祭に備えて行く期間です。今、私たちの周りでは、いろんなことが起こっていて、戸惑い、恐れに呑み込まれてしまいそうです…。恐れは、私たちの心をあらぬ方向へと導いて行きます。苦しみに遭うこと、困難に出会うことは避けられません。けれど、恐れに支配されることは避けなければなりません。天地を造られた方は、私たちに向かっていつもこう言われます。「恐れるな。わたしが共に居る。」私たちは、恐れではなく、愛に支配されて生きる者たちなのです。私たちの救い主は、困難だからこそ、愛に目覚めるようにと励ましておられます。「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えて下さいました。全き愛は恐れを締め出します。」全き愛とは、イエス様のことです。主が共におられます。あなたの内に生きて下さいます。安心して行きなさい。
マタイによる福音4章1~11節「もし、あなたが神の子なら…」
「神様はどこにいるのか…。」そう問いたくなるようなことが起こる…。神様を信頼しても、信頼しなくても何も変わらない。信頼していても苦しみに遭う。病気になる。問題が起こる。信頼していなくても幸せに暮らしている人もたくさん居る。神様のことを忘れていても、支障なく暮らして行けるかも知れない…。心の深いところで私たちは呟く…。「神様は、どこに居るのか。本当に居るのか…。」この声は、何処でも聞くことが出来る。毎日、至る処で響いている…。私たちが神様を信頼しない理由はいくらでも挙げることが出来る。荒野と言うのは、神様が居ないと思える場所。信頼できるものを失い、荒れ果て、希望の光を失った場所…。荒野は、私たちの日常。今、ここに在る現実…。私たちは、今日も荒野を歩いている。
イエス様が最初になさったこと。洗礼を受け、神の子、救い主として最初になさったことは、御霊に導かれて荒野に行くこと。そこで、悪魔の誘惑を受けることだった。悪魔は、試みる者。私たちを誘惑する。神への信頼を壊そうと試みる…。イエス様は、誘惑を受けた。「あなたが神の子なら…」悪魔は、迫る。「あなたが神の子なら…。証明しろ。証拠を見せろ。石をパンに…。神の特別な守りを…。世界をその手に治めろ…。〜そうやって人気を集め、歓心を買い、みんなの救い主、王になれ。そうしてみんなの願いをかなえてやれ、そうすれば神の子として認められ、みんなの救い主になれる…。」悪魔の言うことは間違っていない…。悪魔の言うことの中に、私たちが想い描く救い主の理想の姿がある。奇跡、特別な力を発揮する…。どんなことがあっても守られる…。権力を持っている…。絶対に負けない救い主。願いを期待通り100%かなえる救い主。
私たちは、救い主に期待している。私たちの希望をかなえてくれること…。どんなことがあっても失敗しない人生、いつでも成功者でいられること…。誰かの上に立っていられること…。病気にならない、苦しみに遭わないこと…。でも、振り返ると、私たちの願いは、あまりかなえてもらえないでいる。そして、救い主に対する期待は、諦めに変わって来ている…。救い主は、私たちの願いをかなえてはくれない。期待に応えてくれない…。救い主は居ない…。
イエス様は、試みる者の言葉に乗らなかった。石をパンに変えず。神殿の頂きから身を投げず。世界を手に入れなかった(悪魔に願わなくても世界はすでにイエス様のものだったが…)。私たちは思う。「どうして、イエス様は、悪魔の挑戦に応え、クリアして、自分が神の子であることを証明しなかったのだろう…」いろんな理由を考えることが出来る…。イエス様は、わざわざ自分が神の子であることを証明する必要はなかった。もし証明することが出来るなら、それは神への従順によってのみ証明されるものだった。イエス様は、徹底的に神への従順を示すことで、ご自分が神の子であることを証しされた…。でも、それ以上に、イエス様の心の内にあったもの、イエス様を動かしていたのは…。「愛」、「神への愛」そして、「私たちへの愛」。
イエス様は、私たちの願いをかなえに来たのではない。イエス様は、私たちを愛し、救いに来られた。私たちにいのちを与え、神の子とするために…。十字架でいのちを捨てるために来られた…。十字架でいのちを捨てる、これがイエス様の愛、神の愛…。イエス様は自分のいのちをささげて、あなたを神の子にして下さった。あなたを、愛に生きる者にして下さった。
私たちは、神の子、愛に生きる者。私たちは、今日も荒野の旅を続ける。試みる者が近づいて来て私たちにささやく。「成功した人生を歩め…。病や苦しみに遭うな…。多くのものを手に入れ、支配しろ…。」けれど、今ここに、私たちの内側から、私たちの救い主、神の子の声が響いている。「失敗を恐れるな。病や苦しみに遭っても大丈夫だ。多くのものを手に入れ、支配しなくてもあなたの価値は変わらない。あなたのために十字架でいのちを捨てたわたしを想い起こせ。愛に生きよ。あなたは、神の子だ。」ここにイエス様が居る。「あなたは、わたしの愛する子」あなたを「神の子」と呼んで下さる。
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