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執筆者の写真じょ〜じ

イエスの風 No,74

 言いたくはないのだけれど、暑いです…。仕事部屋は、毎日30℃を越え、夜になっても下がりません。歳のせいか、この暑さの中で集中して作品を描いたり、説教の準備をすることが難しくなっています。そこで、ついに、我がアトリエにもエアコンを導入することを決めました。アトリエには、外側に室外機を置くことが出来ず、窓付けエアコンしか付けられないので、レイアウトを変更しなければならず、暑い中作業を進めました。これで、日中の仕事がはかどればいいのですが…。

 暑い日が続きます。暑い中で仕事や作業をしなければならない人たちが守られますように。

マタイによる福音14章27~33節「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」

私たちが今日、生きていると言うことは、まさに奇跡、主の御業…。私たちは今日、主により、新しいいのちを頂き、新しい日を生きる。今日は、古びた過去の焼き直しではない。今日は、主の日、新しい日、私たちの知らない一日…。善し悪しは別にして、今、私たちは、そのような新しさを経験している。今、私たちは、π明日は予測出来ないことが現実であると知らされている。私たちの暮らす世界が、以前のようでなくなった…。

「しっかり(安心)しなさい。わたしだ。恐れることはない。」(27)夜明け前の湖、主イエスの声が響いた…。「わたしだ。恐れるな」恐れのあまり叫び声を上げる弟子たちに向かって…。「恐れるな」恐れが引き出されるきっかけは様々だ。けれど、恐れは、いつも私たちの内にある。まるで、私たちの中に住んでいるかのように…。人間は、長い 歴史の中、毎日のように「恐れ」と闘って来た。「恐れ」が…、まだ始まっていない明日を煩わせ、信頼することを忘れさせ、見えるはずの希望を見えなくする。歩けるはずの道を歩けなくし、出来るはずのことさえ出来なくしてしまう…。「恐れ」が、私たちのいのちの時間を台無しにする…。

「わたしだ。恐れるな」主は、何度も私たちに向かって語られる。私たちが恐れる時、この声が響く…。「わたしだ。恐れるな」この声は、特別な声。「わたしだ(𝜀𝛾𝜔 𝜀𝜄𝜇𝜄)」主が、ご自分の現存を表す声。「わたしは居る」(出エジ3:14)時空を超えて、今、ここに居る。長い歴史の中で、神の民がこの声を聞き、この声にすがり、慰めと励ましを得て生きて来た。幾多の試練や苦難を乗り越え、数々の失敗、過ちを赦されて…。「わたしだ。恐れるな」この声が、人を恐れから解放し、支え、立ち直らせ、新しい日を歩ませて来た。「わたしだ。恐れるな」

ペテロは、主イエスの声を聞き、「主よ。あなたでしたら、私に命じて、水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言い、「来なさい」と命じられて水の上を歩いた…。「来なさい」私たちは、主イエスの声を聞いて立ち上がり、主イエスの声を信じて歩き始めた。主イエスの道、信仰と希望と愛に生きる道、未だ経験したことのない新しい生き方…。「来なさい」主イエスは今日、私たちを呼んでいる。私たちが、主イエスに倣い、信仰、希望、愛に生きることは、まさに奇跡…。私たちは、今日も水の上を歩いている…。

私たちは、今日も水の上を歩く…、「来なさい」と言われる主イエスの声に従って歩いている…。けれど、強風に煽られ、恐れをなし、波に沈んでしまう…。主イエスの道は、時に激しい風に遭い、恐れに呑み込まれそうになる。打ちのめされ、倒れ、失望し、諦めそうになる…。周りを見れば、恐れる理由は幾らでも見つかるだろう。  

「主よ、助けてください」強風に恐れをなし、沈みそうになったペテロが叫ぶ。「主よ。助けてください」一度は、心の中で叫んだことがあるのではないか。どうすることも出来ない困難に出会い、頑なで、傲慢な心が砕かれ、私たちの魂が目覚める時に生まれる信仰者の祈り。主の御手を動かす叫び。「主よ。助けてください」

ペテロが沈みそうになった時、主イエスはすぐに手を伸ばし、彼を掴んで引き上げた。そして、彼らは再び水の上を歩き、仲間が待つ舟に向かった…。

私たちが歩いている水の上には、嵐が吹く、恐れが私たちを呑み込もうとしている。けれど、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」そこには、永遠の昔から、主イエスの声が響き、主イエスは、手を伸ばし、あなたを掴んで離さない。「わたしだ。恐れることはない。」私たちは、主イエスの声に励まされて、再び、主イエスと一緒に水の上を歩くのだ。

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