やりたいことがいっぱいあります…。やりたい事と言うか、やるべき事と言うか。使命に感じることが尽きず生まれて来るのです。人生の残り時間を数えながら、途中で終わってしまうかも、と心配しながら、それでも挑戦したいと言う思いに駆られるのです。挑戦しなさいと言う声に促されるのです。永遠の世界、永遠のいのちが、私たちに語りかけるのです。「全ての労苦は無駄に終わらない…」と。
2021年、明けて1ヶ月が経ちました。新年に感じた新鮮な空気が、どことなくどんよりして来たように思えるかも知れませんが、今日という日は、新しい始まりの1ページ。古いものは過ぎ去って、全てが新しいのです。神が全てを新しくして下さっているのです。いのちの源である方、永遠のいのちである神が、私たちに新しい命を授け、今日という日を下さっているのです。今日は、恵みの日。救いの日なのです。
マルコ福音書1章7~11節・イザヤ55章1~11節「さぁ、ここから始めよう…」
「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」(11)
新しい1年を、互いに喜びと祝福を分かち合って始めたい…。「おめでとう…、あなたに祝福があるように」神の声を聴こう…。神の声は、天を裂き、私たちの所に降って来る。私たちのただ中に住まわれる…。神の声は、一度きり響いたら、二度と聴くことが出来ないものではない。何度でも聴くことが出来る。天に響いている。神の御子の内に響いている。私たちが心を開き、天に目を向ける時、天の父の声を聴くことが出来る。天の父は、私たちにご自分の声を聴かせたいと心から願っている。
この声は、細き小さな声…。静かで、優しい調べ。私たちの周りには、色んな声が飛び交う。天の父の声をかき消すような声が飛び交う…。私たちの心がその声に囚われている。あなたは今日、どんな声を聴いているだろう。あなたの心が聴いている声は…。
主イエスが聴いた声。新しい出発の時に響いた声…。この声が、彼を生かし、支えた。この声がなければ、主イエスは人として生きることが出来なかった。天の父の声が主イエスを生かした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」
天の父の声が彼の生涯を貫いた。主イエスは、この声を生きた。主イエスの生涯に彼の眼差し、息づかい、言葉が…、差し出される手、人々に向かう足が…天の父の声となって響く。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」この声が、彼を悲しみのある地、罪在る私たちの許に降らせ、十字架を背負わせた…。主イエスは、この声に導かれ、この声となって語り、私たちの中で生きた。この声は、主イエスのいのち…。天の父の声は、主イエスのいのち、永遠のいのちの響きを持っている。主イエスは、天の父の声になって生きた…。
私たちに届けるため。主イエスが聴いた声は、私たちに届けられた。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛した…」主イエスが、私たちに父の愛、父の声を聴かせて下さった。主イエスが、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」と、あなたに向けて言われる。何度も、何度も…。昨日も、今日も、明日も。どんなに苦しみの中を通らされても、試練が続いても…。暗闇の中を歩くときも、罪に打ちひしがれても…。この声は響く。響き続ける…。「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる」(イザヤ55:3)
祈りは、この声に耳を澄ますこと。礼拝は、この声に目覚め、立ち上がり、喜び、歌うこと…。私たちが、何度もこの声に立ち返り、喜び歌う時、私たちの内にこの声が響くようになる。そして、私たちが主イエスの声に、天の父の声になるのだ。
「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」
一度聴いて満足するな…。何度も聴いて喜び、歌え。毎年、いや毎日繰り返し、私たちの心が共鳴し、響くようになるまで…。主イエスは、言われる。「さぁ、あなたの番だ。あなたたちが、この声を響かせるのだ…。」私たちの声で、天の父の言葉、主イエスの声を響かせる。苦しみの中で、悲しみの中で…。主イエスが響かせたように。
「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」
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