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執筆者の写真じょ〜じ

イエスの風 No,87

 今朝は、久しぶりにスケジュールが空いたので、心から尊敬し、愛する恩師が牧する教会の復活祭の礼拝に出席しました。「あなたのキリストは生きて居られますか…」礼拝で語られた説教の言葉が今も心の中に響いています。説教者が口で語る言葉だけでなく、全身全霊から伝わるメッセージ、いのちがけで語る姿を通して、死からよみがえられたキリストと出会い、その声を聞きました。礼拝は、生きておられる主イエスとお会いする時なのだと言うことを心に刻み、自分もそのように生けるキリストを表し、伝える者として生涯を貫きたいと決意を新たにしました。まさに復活祭にふさわしい時間を頂き、言葉では表せない感謝に満たされています。どうか、今週、あなたが生けるキリストと共に歩んでいることを想い起こすことが出来ますように。Go in Peace !!

ルカ福音書24章1~12節・詩篇118篇1~29節「復活を生きる者たち」

 「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです!」

 今日、私たちは復活を祝う。主イエスの御復活を、高らかに宣言し、祝う。「彼はよみがえられた!!He is risen !!」それは、同時にこう言うことなのだ。「古いものが過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなった。すべてが新しい。私たちは、新しいいのちに生きている。この世界に新しいいのちの物語が始まっている。」

けれど、私たちの目に映るのは真逆の世界…。古びて、朽ち果てようとしている姿、滅びに恐れ、おののく世界…。絶え間なく続く争い、いのちの奪い合い。憎しみの連鎖。突然として、不条理に奪われる大切ないのち…。そんな悲惨を目の当たりにして、どうして新しいと言えるのか。浮かれた祝いの言葉を発することが出来るのか。私たちは、沈黙してしまう…。まるで死人を葬った墓のように…沈黙して…。

 「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです!」

 沈黙を引き裂くように、天からの使いの声が響く。失望の中で。神は、私たちを失望の中に留めておくことはしない。失望の墓から引き出し、希望の光の中を歩くように招く。いや、墓のフタを取り除けて、墓の中の暗闇を光で照らしてしまわれる。私たちの歩く道を、光の道にする。ここに記されている物語は、私たちが新しい物語の中に生きて居ることを証しする。私たちは、復活の物語の続きを生きている。復活の物語は、今日の話しであり、今ここに続いているのだ。主イエスの復活は、過去の出来事ではない。「その昔、主イエスが復活なさった。十字架につけられ死なれ、しかし、よみがえって、墓から出て来られた…」と言う昔話しではない。「主イエスは、今、生きておられる」と言うこと。

 「主イエスは、今、生きておられる」主イエスは、かつて生きて居られた、過去の偉人ではない。今も生きておられる。だから、私たちは信じる。私たちが信じているのは、今、ここに生きて居られる主イエス。それが、私たちの信仰。そうでなければ、私たちは主イエスを信じない…。天使たちは言う。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのか。ここには居られない。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを想い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう」天使たちは、私たちを目覚めさせる。私たちの目を開き、心を開かせ、主イエスを想い起こさせる。復活を語る主イエスを…。「わたしは三日目によみがえる」復活は、他でもない、主イエスご自身が繰り返し語って来られた。「わたしは三日目によみがえる」そして、主イエスを葬りにやって来た女たちは、「復活を語るイエスを想い出した」信じたのだ。彼女たちは、復活を語る主イエスを信じた。復活という教義を信じたのではない。「わたしは三日目によみがえる」と言われた主イエスのことを想い出し、主イエスの言われることを信じた。彼女たちは、他でもない主イエスを信じた。生きている主イエスを信じたのだ…。彼女たちは、主イエスにお会いする前に信じた。復活した主イエスを見る前に、主イエスを慕い続け、身を任せ、従い、祈り、愛した…。主イエスを生きたお方として…。

 今日、私たちは、信じる女たちと自分たちを重ねて見る。私たちは、信じている。主イエスにお会いしたこともないのに。復活を目撃したわけでなく、信じている。主イエスが今も生きて居られると…。主イエスの言葉を信じ、主イエスに身を任せ、慕い、従い、祈り、愛している。私たちは、主イエスのことばを想い出した女たちのように…。

 信仰は、見ないで信じること…。主イエスは、この世界に挑戦する。「信じない…。見なければ信じない、主イエスが今も生きていると信じない…」と言い続けるこの世界。信じる者を起こし、遣わし…。私たちは今、主イエスを信じている。主イエスが今、生きて居られる。今日、この世界の真ん中を、私たちの前を歩いている。私たちは、そう信じて、主イエスに倣い、生きる。それは、まさに復活。死からよみがえった生き方。復活の新しいいのちを主イエスと共に生きること。

 

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